今回は復活をとげ多くのバラエティ番組にコンビとして出演が増えているアンタッチャブルに注目です。空白の10年間。お笑いコンビアンタッチャブルの復活とその裏側に迫っています。活動休止と復活の鍵を握っていた人力舎社長の玉川善治さんとはどのような人だったのでしょうか?事件の真相とともに情報をまとめてみました。
[ad]
1アンタッチャブル復活
2019年11月29日に放送された『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)にて、お笑いコンビ・アンタッチャブルが久しぶりに漫才を披露しました。
柴田さんの謹慎そしてアンタッチャブルとしての活動休止から10年、そんなブランクを感じさせない漫才を見せてくれました。ザキヤマ(山崎弘也)さんはボケにボケを重ねてボケ倒し、そこに冴え渡る柴田英嗣さんのキレのあるツッコミで会場の笑いを誘いました。
長い間沈黙していたコンビの実力みなぎる漫才と見事なまでの復活劇に視聴者はじめ、芸人仲間も大盛り上がり。
ツイッターやその他SNSでもトレンド入りするなど、アンタフィーバーとなった一夜であったことは間違いないでしょう。
1−110年かかった理由
◎なぜ10年間も活動休止になったのか・・・
・玉川社長は「俺に良い復帰の作戦がある」と2人に伝えていた。
・玉川社長はその2010年の6月に急逝。
・判断した社長がいなくなり柴田の謹慎は解かれぬままに。
・復帰作戦の詳細もわからぬまま、事務所は新体制作りに突入。
・柴田の謹慎は長期に渡ることになってしまった
社長の「復帰の作戦」とはどのようなものだったのか気になりますね…。詳細は社長が亡くなられた今となっては誰も知りません。
それよりも柴田さんの復帰を横においておいて新体制で会社運営が進んでいったことに人力舎という社風を感じますね。
1−2人力舎社長の玉川善治氏
名前:玉川善治(たまがわ よしはる)
生年月日:1946年12月16日
出身:青森県 南部町
配偶者:既婚
職業:芸能プロモーター、作詞家
事務所:プロダクション人力舎(設立者:社長)
・中学卒業後1961年に上京。
・自動差部品会社で3年ほど務める。
・バーテンダーや看板職人など職を転々とする。
・ベットの訪問販売をしていた19歳の頃芸能人のマネージャーに誘われ、業界入り。
・1977年「プロダクション人力舎」を設立。
・2010年6月11日くも膜下出血のため死去。
[ad]
2アンタッチャブル柴田はなぜ活動休止に?
柴田さんは2010年1月末より1年間、芸能活動を休止しています。この理由について当初は体調不良説が流れていましたが、週刊誌などでは「女性トラブルが原因なのではないか」と報じられていました。2011年に復帰してからも、その理由はなかなか明らかにされず「爆笑問題の田中裕二の前妻の不倫相手が柴田さんだった」というゴシップまで流れる始末でした。
2−1柴田逮捕
柴田が全てを明らかにしたのは、2015年10月9日放送の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)でのこと。柴田さんは自ら「実は冤罪で逮捕されていた」と告白したのです。
2−2逮捕の真相
・その元カノが柴田の妻から脅迫を受けたと警察に訴えた。
・これについては柴田の身の潔白が証明。
・逮捕ではなくあくまでも事情聴取という形。
・これを受けて所属プロダクション・人力舎の社長だった玉川義治氏は柴田に謹慎を申し渡した。
3まとめ
今回は活動休止すること10年のアンタッチャブルの復活までの裏話やキーパーソンとなっている玉川社長について紹介してみました。
しゃべくり007でも2人の復活への真相が番組を盛り上げましたね。
今後も息ピッタリの漫才やコントでお茶の間に笑いをたくさん届けてほしいものです。
応援していきましょう!!